望まれた死-IMMORTAL WISH-

 ――ゴーン、ゴーン、ゴーン……
 街中に鐘の音が鳴り響く。
 それに合わせるように、人々の賑やかで明るい声が街を包み込む。
 僕は読んでいた本を横に置き、2階にある自分の部屋の窓から外を見る。
 下を行く人々は楽しそうに騒いでいる。
 今にも祭りなんかを始めそうなくらいに。

 鐘はまだ高らかに鳴り響いている。
 しかし、僕の心はどんどん沈んでいった。
 鐘の音とは反対に、むしろ鐘の音が一つ聞こえる度に。
 その時、誰かがドアを開けて部屋に入ってくる音が聞こえた。
 ――ガチャッ
 ドアの方を見ると、よく見知った少女が立っていた。
「また誰か死んだみたいね、アル」
 少女は事も無げに明るく言う。
「あ、そうだな、フィナ……」
 それとは対照的な僕の態度。
 フィナは僕の隣に来て、窓の外を見ながら、更に楽しそうに口を開く。
「今度は偉い人が死んだみたいよ。今日は本当にお祭りになりそうね」
「ああ…。最近、よく人が死んでいるし、な…」
 俯く僕を見たフィナは、少し困ったような顔になる。
「この世界では、死ぬ事って良い事なのよ?」
 フィナは溜め息を一つついて、困った顔のまま微笑む。
「アルは記憶をなくしてるから、まだ慣れないのも無理ないけど、ね」
「あ…ああ……」

 僕には1年前、フィナと会った時より前の記憶が、ない。
 気が付いたら僕はこの部屋のベッドで寝ていた。
 街外れで気を失って倒れていた所を、フィナが拾ってくれたらしい。
 その時に憶えていたのは「アル」と言う僕の名前だけ。
 それ以外の事は何も憶えていなかった。
 自分が一体何者なのかも。
 この世界では死は良い事とされている事も、もちろん。

 記憶をなくした僕だったけど、フィナは明るく屈託無く接してくれた。
 それと同時に、この世界の事を教えてくれた。
「死はね、神様が与えてくれた最高の祝福なのよ」
 フィナは本当に楽しそうに笑う。
「死ぬって簡単にできる事じゃないの。だから人は死ぬために頑張って生きてるの」
 何度となく聞かされた言葉。
 だけど、どうしても納得がいかない。
「……人は、死ぬ為に生まれてきたのか?」
 僕は怪訝そうな顔をしながらフィナに訊く。
 フィナの話を聞く度に、何度となく言った言葉。
 そして返ってくるのは、何度となく聞かされた答え。
 フィナは少し哀しそうに微笑みながら答える。
「…そうよ。人は死ぬために生まれてきたの」
「…………」
 何度聞いても、納得がいかなかった。

 この前も、フィナと街を歩いていた時。
 僕らは事故の現場に出くわした。
 事故の被害者は、まだ10才くらいの小さな女の子。
 すぐ近くに階段があり、その女の子はバランスを崩して階段の上から落ちてしまったらしい。
 頭を打ったらしく、女の子の頭の下の地面が少し赤く染まっている。
 女の子は、痛い痛い、と呻いていた。
 しかし、苦渋を浮かべるその顔には、明らかに喜びが混じっていた。
 数人の大人が女の子の周りを囲っていて、女の子を励ましていた。
 その痛みは死ぬ為に神様が課した試練だ、頑張れ、とか。
 まだ若いのに、もう死ねるなんて貴女は幸せよ、とか。
 大人達の声に答え、女の子は頷き微笑む。
 しばらくの間、痛みに苦しみ、やがて、女の子は息絶えた。
 その様子を見て、鐘撞きの元へ走る者。
 女の子を墓地まで運ぶ者。
 ただ、女の子を羨ましそうに見ている者。
 隣にいるフィナも、穏やかな表情をしていた。
 僕だけが、ただ、その光景に疑問を抱いていた。

 死ぬ為に生まれてくる。
 何故だか分からないけど、妙に違和感がある。
 確かに、死は必要なものだと思うけど。
 考えれば考えるほど、僕の中に違和感が広がる。
 それが、僕の記憶に関わるからなのかは、まだ分からない。

 ――ズキッ……
「痛っ……」
 最近、よく頭が痛くなる。
 長時間じゃなくて、あくまでもほんの一瞬。
 その瞬間に、よく映像が見える。
 おぼろげではっきりとは分からないが、その映像の中に人間が2人いるのは分かる。
 この事をフィナに話した。
 フィナは一瞬厳しい表情を見せるが、すぐに優しく微笑んで、
「きっと、記憶が戻りかけてるのね」
 言いながら、僕の髪に軽く触れる。

 頭痛と一瞬の映像。
 前は10日に1回あるかないかだったけど、最近は1日に10回ぐらいある。
 回を重ねる毎に、痛みは少しずつ酷くなっていく。
 同時に、頭の中に流れる映像は鮮明になっていく。
 それは研究所のような場所。
 記憶をなくす前の僕に、何か関係のある場所なのだろうか。
 どことなく、懐かしさを感じる。
 そして、その映像の中にいる人間は僕と、フィナ。

 ある日、僕の頭は割れるような痛みに襲われた。
 ――ズキンッ、ズキンッ……
「……く…うっ……!」
 脈打つような激しい痛み。
 痛みを感じる度に僕は、小さな悲鳴を上げる。
 痛みと共に断片的に流れる映像。
 ――ズキンッ、ズキンッ、ズキンッ……
「うっ……くぅ………うぅ!」
 痛みが最高潮に達した時、頭の中に沢山の映像が溢れた。

 そこは、政府直属の研究所。
 その存在は、一般には公開されず、秘密裏にされていた。
 理由は研究内容の所為。
 この研究所は不死に関する研究をしていた。
 死ぬ事が良い事とされているこの世界で。
 不死を研究すると言う事は、即ち死を否定する事になる。
 それ故に、表立って研究は出来ない。
 研究所は地下に隠され、上には政府の建物が建っている。
 研究所の人間も、表向きは政府に関係のある人間という事になっている。
 ここにいる人間は皆、死を快く思っていない。
 僕もそうだった。
 だから、ここの研究員になった。
 ここに入る事は、容易ではなかった。
 研究所と言うだけの事あって、頭の良い人間じゃないと駄目だ。
 しかし、それだけではこの研究所には入れない。
 研究員になるには、何より、死に対する不満を人一倍強くもっている必要がある。

「もう少しでこの研究、完成しそうね、アル」
 言いながら、フィナは大量の資料を机に置く。
 既に机の上はあらゆる資料が山積みになっている。
「ああ、そうだな、フィナ」
 資料に目を通すのを一旦止め、僕は顔を上げてフィナに微笑みかける。
 僕はこの研究の責任者の立場だった。
 だからと言って、僕が研究所の所長と言う訳ではない。
 所長や副所長は政府から派遣された人間が別にいる。
 フィナは、僕の補佐役にあたっていた。
「どうして皆、死を不満に思わないのかしら? 死んだら何も出来ないのにね」
 フィナは不思議と言わんばかりの顔になる。
「きっと皆、死なない事の幸せを知らずにいるからだ。でも、不死の存在と幸せを知ったら皆考え方が変わるさ」
 僕は一呼吸おいて、言葉を続ける。
「皆、死なない幸せを手にできるようになる。そのために、僕達は不死の研究をしているんだ」
 僕がそう言うと、フィナはぱっと笑顔になる。
「そうよね、アル!」
 人々全員が不死の幸せを手にできる。
 僕はこの時、確かにそう信じていた。

 数日後。
 ついに、不死の研究の途中経過をまとめた書類を持って、所長の元へ行った。
 そこで、思いもよらない事態に遭遇する。
「どういう事ですか、所長!?」
 ――バンッ!
 僕は所長の机を叩く。
「一般人に研究成果を公開しないとは、どういう意味ですか!?」
 僕は怒りに任せて言い放つ。
 ここで言う『研究成果の公開』とは、即ち皆を不死にする事を指す。
「言ったとおりの意味だよ、アル君」
 僕の目の前にいる所長は、落ち着き払った態度で座っている。
「一般人は、死を至高の幸福と思っているのだよ? それなのに、この研究を公開するのかね?」
「死を不満に思っている一般人もいます! せめて、その者達にだけでも……」
「大体、ただの一般人にこの研究を公開して、一体何になるのかね?」
「な……」
 所長の意外な言葉に、僕は思わず閉口してしまう。
「優秀な才能を持つ者にならともかく、才能無き一般人を不死にして、一体何の価値がある?」
 所長の冷たい視線が僕に突き刺さる。
 所長は更に言葉を続ける。
「この研究の対象は、政府が認めた才能あるごく僅かな人間だけだ」
「…そ、そんな話、聞いた事……」
「無いと言うのか? そっちにいるフィナに伝えておくように言ったのだが…聞いていないのか?」
「えっ!?」
 僕は振り返り、後ろにいるフィナを見る。
 フィナは僕から目線を逸らし、少し俯く。
「ほ、本当なのか、フィナ?」
 もともとフィナは、政府から派遣された人間。
 だから、知っていてもおかしくはないが……。
「…ごめんなさい、アル」
「どうして、黙っていたんだ…?」
「…アルが、あんまり嬉しそうだったから……。誰も死なない世界を作れるって、喜んでたから…。だから、言い出し辛かったの……」
「そう、か……」
 僕は向き直り、下を向くが、すぐに頭を上げ、
「……わかりました」
 真っ直ぐ所長を見る。
「それなら、僕の独断でこの研究の事を発表します。失礼します」
 踵を返し、僕は所長室を出て行こうとした、が……
「……うわっ!」
 ――バタンッ!
 急に足を払われ、僕はその場に倒れてしまう。
 僕の足を払ったのは、フィナ。
「勝手な事をされては困るな、アル君」
 所長は椅子から立ち上がり、僕の側まで来る。
「本来ならここで君を処分するのだが、君の頭脳を失うのは少々勿体無い」
 ここでの『処分』は、すなわち『投獄』もしくは『処刑』、と言う事だ。
「しかし、このまま放って置くわけにはいかない。悪いが君の記憶、消させてもらう」
 横では既にフィナが連絡を取り、僕の記憶を消す準備を着々と進めている。
 このあと僕の意識は途切れ、目覚めた時には名前以外の全ての記憶を失っていたのだ。

「……思い、出した」
 研究所での事も、それ以前の事も。
 僕は、全ての記憶を取り戻した。
 ――ガチャッ
 そこに、フィナが部屋に入ってきた。
「フィナ…。記憶が、戻った」
 僕は少し厳しい目で、フィナを見る。
 対するフィナは、僕よりも厳しい表情をしている。
 そこに、喜びは一つも無かった。
「そう…。それは……残念ね」
 ――カチャッ
「……!」
 フィナは右手を前に突き出す。
 その手には拳銃が握られ、その銃口は僕に向けられていた。
「あのまま記憶が戻らなかったら、こんな事にはならなかったのにね」
 フィナは口元を少し吊り上げるが、目は笑っていなかった。
「フィナ、どうして……」
「私、アルが研究の責任者になった時から、ずっと監視してたの。研究を外に漏らされない為にね。記憶を消した後もそう。アルが記憶を取り戻さないかどうか、監視してたのよ。アルが記憶を取り戻さなかったら、それで良し。だけど、アルが記憶を取り戻したその時は……」
 フィナはここで一旦言葉を区切る。
「あなたを殺すように、上から命令されてるの」
「…………」
 あまりの事に、言葉が出ない。
 そんな僕にお構い無しに、フィナは突然やわらかい笑みを浮かべる。
「その前に、アルに見せとかなきゃね」
「えっ?」
 そう言うと、フィナは僕に向けていた銃口を自分のこめかみに当て、
 ――バァンッ!!
 何を思ったのか、その引き金を、引いた。
「! フィナ!!」
 ――バタンッ
 僕は、その場に倒れるフィナに駆け寄る。
 フィナの頭から、おびただしい量の血が流れ出る。
 これじゃあもう助からないと思った、その時……
「……驚いた、アル?」
「!?」
 突然、フィナがその場に立ち上がる。
 僕は一体何がどうなっているのか、一瞬混乱したが、すぐに理解した。
「不死に、なったのか…?」
 恐る恐る僕が訊くと、フィナは笑顔で答える。
「ええ、そうよ。あのあと研究はちゃんと完成して、そして私が最初の成功体なの」
 言いながら、フィナは僕に再び銃口を向ける。
 頭から流れていた血は既に止まっていた。
「アル、前に『人は死ぬ為に生まれてきたのか?』って、聞いてきたよね?」
「あ、ああ……」
 確かに前、記憶を消されていた頃に聞いた事がある。
 あの時感じた妙な違和感。
 今なら、理解できる。
 記憶を消されても、僕は死を疑問に思っていたんだ。
 だけど、今は分からない。
 死が本当に不必要な物なのかどうか。
 そこに、僕の思考を遮るように、フィナの声が聞こえてくる。
「死ぬために生きるって、馬鹿げてると思わない?」
「…………」
 僕はとりあえず、黙ってフィナの話を聞く事にした。
「だってそうでしょ? 死んだら何も出来ないのに、わざわざ一般人は死にたがるのよ?
 まったく、馬鹿げてる。不死こそが、本当の幸福なのにね」
 フィナは死を望む事を蔑むような口調で言う。
 そこに、僕が小さく呟く。
「……そう、なのか……?」
 記憶を失って初めて、僕は気付いた。
 この世界の人は、とても活き活きとしている。
 どんなものでも、ちゃんとした目的をもって生きているから。
「ん? 何、アル? あなたも死を望むの? ……変わっちゃったのね、アル。昔のあなたなら、すぐに同意してくれたのに」
 少し悲しそうな顔をするフィナ。だけど、すぐに厳しい表情に戻る。
「でも、もう関係ないよね。だって、アルは今ここで死ぬんだから。反乱分子になりそうな芽は、ちゃんと摘んでおかなきゃね」
 ――カチャッ
 フィナは拳銃を構え直す。
 僕を見据えるフィナの瞳は、何故か悲しそうに見えた。
「……本当は、アルにもずっと生きててほしかったけど……」
「?」
 不意に、フィナが小さく呟いた。
 僕には、その内容までは聞こえなかったが。
 フィナは頭を軽く横に振り、僕を見据え直す。
 その瞳にはもう、悲しそうな色はなかった。
「そう言えば、前に『死ぬ事は簡単じゃない』って言った事、あるよね?」
 僕は声を出さず、ただ軽く頭を縦に振る。
「あれね、嘘。死ぬ事って、とっても簡単なの。こんな風に、ね――」
 フィナがそう言った、次の瞬間……
 ――バァンッ!!
 轟音が聞こえたかと思うと、一瞬で視界が真っ赤に染まる。
 ――バタンッ!
 体が重くて、とても起き上がれそうにない。
 真っ赤な視界に薄れ、代わりにどんどん闇が広がっていく。
 ――だから、私たちは不死を求め、そして手に入れたの
 薄れゆく意識の中で聞こえた、フィナの言葉。
 それを聞いた瞬間、僕は反射的にこう思った。
 途切れかけた意識の中で。

 本当に、それでいいのか……?

 -end-

presented by Mito Natsuhatsuki since 2003.5.18