祈られるモノ
普段私を信じぬ者でも、自分の身に危機が迫ると私に救いを求める。
私の名を口にし、祈りを捧げる。
私に祈りを捧げた後、事態が良い方へ向かえば、
私に祈りが通じたと思い、今度は私に感謝の祈りを捧げる。
しかし、事態が良い方へ向かわなければ…
私を罵り、果ては私の存在を否定する。
だが、私は確かにこの世界に「いる」。
確かにこの世界を創り出したのは私だ。
しかし、それはもう昔のこと。
今はもう「いる」だけだ。
私に、人々の祈りを聞くだけの力はない。
世界を創り上げることは出来ても、出来上がった世界に再び手を加えることは出来ない。
どれだけ多くの人々に祈りを捧げられても。
例え、この世界が滅び去ってしまう、その瞬間も。
本当は手を差し伸べたくて仕方がない。
求める者全てに、等しく救いを与えたい。
しかし、今の私にはもう、世界を見守る事しか出来ない。
それが、私に与えられた運命。
それが「私」なのだ。
――それでも貴方は、私に祈りを捧げるか?
-end-