Etarnal Garden
そこは美しい庭園。辺り一面に色とりどりの花が咲き乱れ、庭園に横たわる小川は、陽光を受けながらただ静かに流れている。庭園の四方は真っ白な壁で囲われている。
その庭園の中を、一人の少女が歩いている。年の頃は10代後半、青く美しい長髪に、紫色の瞳をした少女。
少女は道なりに歩を進め、目的の場所に辿り着くと、その場にしゃがみ込む。
目の前には、さほど大きくない石碑が一つ。石碑に刻まれている文字には、こう書かれている。
『創造主クレイランス ここに眠る』
一旦悲しそうに目を細めた少女は、そのまま目を閉じて遥か昔を思い出す。
それはもう700年も前のこと。
初めて目を開けた時、少女は水槽の中に居た。
底と天井に近い部分は何色かの線が走る石で、残りの部分は全てガラスで出来ている。幅はあまり広くない、上下に長い筒状の水槽。広くないと言っても、恐らく底に座ることぐらいは出来るだろう。
少女は水槽の底に足を着くことなく、水槽の中ほどで――すなわちガラス部分の辺りで漂っている。
水槽――水の中に居るにも関わらず、呼吸はなんら問題なく出来る。頭の片隅でそんな事を意識しながら、少女はぼんやりと辺りを見回す。すると、一人の男が目に止まる。
水色の髪に深い青色の瞳の、20代半ばと思しき男。男はずっとこちらを見ていたらしく、少女と目が合うなり口を開く。
「気分はどうだ?」
水の所為で少しくぐもった、どことなくそっけない物言い。表情も心なしか固い。
「悪くないです」
男の言葉に、少女は穏やかな微笑みを返す。
少女の答えを聞いて安心したのか、男は固かった表情をわずかに緩める。
「お前の名はメティウス。私はクレイランス。私は、ここを守るためにお前を造った」
メティウスは、頭の中でクレイランスの言葉を復唱した。が、造られたと言われても、いまいちしっくりこない。
同時に、小さな疑問を抱き、クレイランスにそれをぶつける。
「ここは、一体……?」
自分が水槽の中に居るのは、クレイランスに作られたからだと言うことで納得が行く。しかし、そもそもここは何処なのか。また、自分はここにある何を守るために造られたのか。
「それは、お前がそこから出た時に話そう……」
メティウスの問いに、クレイランスはすぐには答えなかった。
「さぁ、今日はもう眠るといい。そこから出るには、もう暫く時間がかかるからな」
クレイランスは、メティウスに優しく微笑みかける。
すると、不思議とメティウスの意識は薄れていく。
前の目覚めから、一体どれくらい時間が経っただろうか。
再びはっきりしていく意識の中で、かすかに声が聞こえる。それは、聞き覚えのあるクレイランスの声。
よくよく聞いていると、どうやら彼は歌っているようだ。
Arli sukuac el-sukua
Bisheac ju-corte
Meratic ju-sartis
Yarl-felufic zeas pianes
Yarl-saliac zeas hatia
Ane lyuac wia-arli
Ju-ertias sherlas lyua
聞き慣れない言葉の、どこか懐かしさを感じる歌。
一通り歌い終わったかと思うと、クレイランスはまた最初から歌い始める。
その繰り返しが心地良くて、メティウスはクレイランスの歌に聞き入っていた。
暫くすると、ふと歌声が止む。
「あぁ、起きていたのか、メティウス」
クレイランスが、目覚めたメティウスに気づいたからだ。
「気分はどうだ?」
前の目覚めの時と同じ質問を、クレイランスは口にする。
対するメティウスも、前と同じように穏やかな微笑みを返す。
「前よりも良い感じです、マスター」
ふと口をついて出た『マスター』という単語に、メティウス自身が軽く驚いた。
しかし、前回の話でクレイランスが彼女の創造主――マスターであることが分かっているのだ。そのように認識しているのだから、クレイランスの事を『マスター』と呼んでもさほどおかしくはない。メティウスはそう頭の中で考えた。
クレイランスも幾分驚いていたようだが、すぐに穏やかな表情になる。
「そうか。それなら、次の目覚めの時には外に出られるだろう」
メティウスに軽く笑いかけ、クレイランスは水槽の側にある机の上の、少し散らばり気味の書類や本を整理し始める。癖なのだろうか、机の上を整理しながら、先ほどの歌を再び口ずさむ。
「マスター。あの、その歌は……」
躊躇いがちに、メティウスは質問を投げかける。
「この歌か? これはな……大事な知り合いが、よく口ずさんでいた歌だ」
「あ……」
こちらに向き直ったクレイランスの顔がどこか悲しそうで、メティウスは思わず口を閉ざす。聞いてはいけない事を聞いてしまったような気がしたから。
「知り合いがよく口ずさむものだから、私も覚えてしまった。気に入っているから、時折こうして口ずさんでいる」
そう話す頃には既に、彼の表情は穏やかなものに戻っていた。
「そう言えば、歌の言葉のままだとメティウスには意味が分からないな。この歌の意味は……」
「 空より降り注ぐ光
もたらすものは安らぎ
奏でるものは希望
すべての人に届くよう
すべての心に響くよう
光とともに 我は歌う
永遠なる奇跡の歌 」
クレイランスが意味を述べる前に、メティウスはそれを口にする。
まるで挨拶の言葉や自分の名前のように、歌の意味が出てきた。何故かは分からないが、聞き慣れない言葉の歌を、初めて聞いたその時から、メティウスは理解していた。言葉の運びも、旋律もリズムも、まるで体に染みついているかのようだった。そのような事、造られて間もない自分にあるはずがないと思うのだが。
これには、流石にクレイランスも驚いたらしい。歌の意味が、まさかメティウスの口から出てくるとは思っていなかったのだろう。
だがすぐに、クレイランスの表情は変わる。
「あぁ……あぁ、全くその通りだ、メティウス」
クレイランスはとても嬉しそうに笑みを浮かべながら、何度も何度も頭を縦に振る。
彼の言葉に、今度はメティウスが驚いた。何気なく言った言葉が、まさか正しいとは思っていなかったから。
すると、嬉しそうな表情のまま、クレイランスはまたも前と同じ台詞を言った。
「さぁ、今日はもう眠るといい、メティウス」
「はい」
メティウスは軽く頷き、目を閉じる。次の目覚めの為に。
薄れゆく意識の中、主の咳き込む声が聞こえたのは気のせいだろうか。
そして3度目の目覚め。
今までと状況が変わっていて、メティウスは思わず目を見開いた。水槽のガラスや、自分と共に水槽の中にあった水が一切ない。今まで水の中で漂っていたはずの自分は、水槽の底の部分に座り込んでいた。
一体何がどうしたのか。
驚きのあまり呆然としていると、頭上から影がメティウスを覆う。見上げた先にいたのは、主クレイランス。
「マスター、一体何がどうなって……!?」
言葉を途中で、メティウスは息を呑む。
クレイランスの顔色が、今にも倒れそうなぐらい悪い。
「マスター! 大丈夫ですか!?」
メティウスは急いで立ち上がり、クレイランスに手を添える。
「大丈夫だ、メティウス……」
「しかし……」
明らかに大丈夫そうではないクレイランスの声。
早くどこかで休ませなければと思い、メティウスは辺りを見回す。
が、そんな彼女の思いを知ってか知らずか、クレイランスはどこかへ歩き出す。
メティウスは慌ててクレイランスに駆け寄る。
「マスター、そのようなお体のまま歩き回ってはいけません! 早くどこかでお休みに……」
「いや……大丈夫だ。気にするな……」
メティウスの言葉を左手で制しながら、歩みを止めることなくクレイランスは言う。
「それよりも……前にした約束を、果たさなくてはな……。もうあまり、時間がない……」
「……はい」
メティウスは仕方なしに頷く。
この時はまだ、主の発した言葉の意味を深く理解していなかった。いつ倒れてしまうか分からない主の様子で頭が一杯で。
「まずは外に出よう。説明はそれからだ……」
建物の外は、驚くほど綺麗な庭園だった。暖かい陽射しが降り注ぎ、色鮮やかな花々が咲き誇る、壁に囲われた庭園。
見たこともない美しい光景に、メティウスは目を奪われた。
そんな彼女の様子を、クレイランスは微笑ましげに見つめる。
そして、頃合を見計らって説明を始める。
「ここに咲いている花々は、全て私が造った枯れることのない花だ」
「!?」
メティウスは驚き、クレイランスを見る。
「私はこことは別の、アルリムスと言う大陸で、世界中に点在する痩せ細った大地を豊かにする為、不死の生命の研究をしていた」
何でもない風に、クレイランスは建物の入り口から左へ伸びる道に沿って歩き出す。その少し後ろから、無言でついていくメティウス。
「だが、ある事情があって、アルリムス大陸で研究を続ける事が出来なくなった。だから、今いるこのガーヴェルス大陸に渡り、研究を続けることにした」
「……」
ある事情とは何なのかと、メティウスは問いただそうとしたが止めた。言いたくないからそのような言い方をしたのだろうと、そう判断したから。
「この大陸に渡る前から、研究は完成に近かった。だから、この大陸に渡ってから研究を完成させるまでは早かった。そして生み出されたのが、常に花が咲き続ける庭園と……メティウス、お前だ」
そこまで話すと、クレイランスはふと足を止め、壁を見やる。
メティウスも立ち止まり、クレイランスの視線の先を追う。
そこには、壁と同じ白い色をした扉があった。扉の反対側には、先ほどの建物の入り口がある。
扉を見ながら、クレイランスは淡々と説明をする。
「この扉は、外からは絶対に開かない仕組みになっている。研究を悪用しようとする者達の進入を拒む為に」
「悪用……?」
メティウスは首を傾げる。
「あぁ」
再び歩き出すクレイランス、それに続くメティウス。
「アルリムス大陸で研究を続けられなくなったのは、この研究を悪用したがる者が現れたからだ。それは私の意からあまりにも反した、酷い目的の為だった……」
「酷い目的とは、一体どのような……?」
「……」
メティウスの質問に、クレイランスは答えようとはしなかった。
口に出すのも嫌になるような目的だったのだろうか。
メティウスはそれ以上追求するのを止めた。
「大陸を渡ったとは言え、その者の追っ手がやってくるかも知れない。だから、扉をあのような仕組みにした。これで悪用される心配は一応なくなったが、気がかりな事があった……」
「それは、一体何なのですか?」
「いつか、何らかの方法で扉が破られた時のことだ。その時にここが無人だった場合、研究が誰にどのような手で渡るとも知れない。それが気がかりで仕方なかった。だからお前を造った、メティウス」
最初の目覚めの時に言われた言葉の意味が、ようやく納得が行った。
彼女が造られたのは、この不死の研究の番人になってもらう為。
もし研究に触れようとする者が居たら、その善し悪しを判断する為。
不死の研究を守るのは、永遠を生きる少女。
それがメティウスの、これからあるべき姿。
「……?」
メティウスがふと目を落した先に、何やら石碑のような物がある。しゃがみ込んでよく見てみる。綺麗に磨かれた表面。何か字が彫ってあっても良さそうだが、何も刻まれていない。
「マスター、これは一体何なのですか?」
石碑に目を向けたまま、メティウスは問いかける。
しかし、クレイランスから答えは返ってこなかった。
答えの代わりに、別の音が聞こえてきた。
――バタッ!
「……!?」
メティウスは音のした方を見る。するとそこには……
「マ、マスター!!」
その場に倒れ込むクレイランスの姿。
メティウスは慌てて駆け寄る。クレイランスの顔は既に真っ青になっている。
「まさか……こんなに早く、この墓を使うことになるとは……」
「!?」
「あれは、私の墓だ……。このような研究を成功させたとは言え……私はただの人間に変わりない……いずれは死んでしまう……」
途切れ途切れになりながらも、クレイランスは口を開く。
「……しかし、仕方ないとは言え……もう少し生きていたかった……」
「……!」
仕方ないとは一体どういうことか……
メティウスはそう聞こうとするが、上手く声にならない。
「いつか、こうなってしまうと分かってはいたが……一人にしてしまって済まない、メティウス……」
クレイランスが差し出してきた手を両手でしっかりと取り、メティウスは必死に頭を横に振る。
そして、最後の力を振り絞るように、クレイランスは再び口を開く。
「メティウス……どうか、ここを守ってくれ。頼む……」
「はい、はい……!」
目に涙を湛え、メティウスは何度も何度も頷く。
その言葉を聞いて安心したのか、クレイランスは穏やかに微笑む。
「どうか、ずっと元気でいてくれ……メティウ、ス……」
「……っ!?」
握っていたクレイランスの手から力が抜ける。
まるで眠るように死んでいる主を前に、メティウスは肩を震わせ目を閉じる。
閉じた目からは、幾粒もの涙が零れ落ちる。
不死の研究の事について知ったのは、この少し後だった。
生命力を常に一定以上に保っていれば、老いることも死ぬことも無い事。
しかし、生命力は生きている限り減り続ける。だから、何か他の物を生命力として変換する必要があった。
クレイランスが目をつけたのは、大気中に溢れる『ミリファ』と呼ばれる魔力だった。ミリファは大気がある限り、常に補え続ける物だからだ。
ただ、ミリファは魔力。生命力ではない。そのままでは生命力として使えないミリファを、体内で生命力に変換する必要があった。
そして、クレイランスは長年の研究の末、体内でミリファを生命力に変換する術――すなわち不死の生命を生み出す事に成功したのだ。
だがこれは、あくまで『もともと生きているもの』を不死にする術。一から造られたメティウスには使えなかった。彼女を生かすには、他の生物から生命力そのものを移す必要があった。
初めは、数十の花の生命力を用いようとした。しかし、彼女が生きる為の必要量には全くと言っていいほど、足りなかった。
悩み抜いた挙句、クレイランスは自分の生命力を、メティウスの為に使おうと決めた。自分の生命力の全てを移せば、メティウスが生きる為の必要量を十分に満たせるから。
そして、彼は実行した。メティウスを生かす為に、自分の生命を犠牲にして……
メティウスは研究の中身を知って、初めて主の言葉を理解した。『時間がない』の意味も、『仕方がない』の意味も。
生命力がほとんどなくなっていたクレイランスは、いつ死んでもおかしくない状態だったのだ。
彼女は同時に、主自身に術を施せば良かったのに、と思った。しかしそれは、すぐに頭の中で打ち消された。
研究について書かれている本や書類を見る限り、自分自身に術を施せるほど、簡単なものではなかったから。
こうする事が、クレイランスにとっては最良の方法だったのだ。
ふと、涙が一筋頬を伝う感覚でメティウスは目を開き、流れた涙を拭う。恐らく、思い出に深く浸っていたのだろう。もう700年も前の事だが、今もはっきりと覚えている。
忘れられない、忘れてはいけない、主との僅かな、だけど大切な思い出だから。
今一度目を閉じ、メティウスは歌い出す。2度目の目覚めの時、主が何度となく繰り返した、主が好いていた歌。あれ以来、メティウスも好んで歌うようになった歌。主との数少ない繋がりである歌。
一通り歌い終えると、メティウスは目を開ける。
そして、墓を――そこに居るように思える主を見て一言。
「マスター、今日もここは平和です。私は、今日も元気ですよ」
そう言って綺麗に微笑む。
心の中でもう一度、元気ですよ、と呟きながら……
−end−